【芝②】芝金杉町
町名:芝金杉町
読み方:しばかなすぎちょう Shiba-Kanasugichō
区分:総称
起立:江戸期
廃止:明治初年
冠称:「芝」
現町名:港区芝一・二丁目
概要:豊島郡麻布領のうち。往古は荏原郡であったといい、「芝金杉町」とも称し(新編武蔵)、11ヶ町の総称。幕府領。
「かねすぎ」ともいい、「金洲崎」、「金曽木」とも書いた。金杉は下谷、小日向にもあった。伝承では、嘗て往還の脇の「一里塚」と称した所に榎と栴檀の大木があり、舟人の目印になっていた。夜は木から光を発したので舟の航行の助けとなり、栴檀を金杉大明神として勧請したという。中世以来、町名、河岸名、川名、橋名等に見える。
金杉に各町が成立する以前に金杉村があり、その金杉の集落が町奉行支配に入る直前に全体を「金杉町」と称したものという。『田園簿』の石高は13石余で皆畑。他に舟役38艘分永3貫800文。『元禄郷帳』は42石余、『天保郷帳』は65石余、『旧高旧領』では69石余。東南は海に臨み、北は金杉川を境とする。
『新編武蔵』によれば、地内を東海道が通るため早くから町場化し、芝金杉通一~四丁目、芝金杉裏一~五丁目、芝金杉片町、芝金杉浜町の11ヶ町総反別5町5反余の地が、1662(寛文2)年に町奉行・代官の両支配となり、また『在方分』として金杉町家持町人総持抱屋敷、松平因幡守、法円寺、経覚寺、了善寺の抱添地を記載する。明治初年総称としての「金杉町」は消滅、江戸期の各町は次第に芝金杉一~四丁目、芝金杉川口町、芝金杉仲町、芝金杉浜町となる。
撮影場所:芝金杉町
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