【麻布②】麻布今井寺町
町名:麻布今井寺町
読み方:あざぶいまいてらまち Azabu-Imai-Teramachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「麻布」
後身:麻布谷町
現町名:港区六本木三丁目2番32~35号、六本木一丁目7番7~28号
概要:町域は2ヶ所に分かれていた。1つは1654(承応3)年、虎ノ門と付近の堀建設で田畑・屋敷が御用地となり、移転した者により成った町で、1713(正徳3)年に町奉行支配となる。西側になだれ坂を介して向かい側に、寛永年間(1624~1645年)頃から6ヶ寺が並び、寺町の街況であったため、「麻布今井寺町(今井寺町元町ともいう)」と称した。現行の六本木三丁目2番32~35号。
もう1つは今井のうちの大法院抱屋敷が1690(元禄3)年、光林寺へ譲渡され、1695(元禄8)年、光林寺は麻布本村町へ移転、跡地が1698(元禄11)年、南部家医師上領随庵へ譲渡された。1734(享保19)年、町家作を願い出て町奉行支配となる。光林寺跡地のため、「麻布今井寺町」と称したという。現行の六本木一丁目7番7~28号の背後。
2町とも同名であるばかりでなく、同一町として扱われているのは光林寺跡地の住民は先の麻布今井寺町から移ったものか。1827(文政10)年の総家数35軒、うち家持6・家主2・店借27(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、麻布谷町に編入となり消滅。1870(明治3)年、もとの麻布今井三谷町・麻布法音寺門前とともに麻布東今井町となり、さらに1872(明治5)年には麻布今井町に編入となった。
撮影場所:麻布今井寺町
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