【四谷②】四谷東仲町

町名:四谷東仲町

読み方:よつやひがしなかちょう Yotsuya-Higashi-Nakachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1872(明治5)年

冠称:「四谷」

後身:四谷仲町二丁目

現町名:新宿区若葉一丁目

概要:四谷仲町二丁目の古名。江戸期の俗称に「四谷御駕籠町」があった。古くは豊島郡山中村に属し、江戸初期に伊賀組頭服部半蔵に給されたが、火災に遭って他に移った。慶長年間(1596~1615年)に寺地とされたが、1706(宝永3)年、駕籠組町屋敷として給され、2ヶ所に分けてそれぞれ俗に「四谷御駕籠町」、「四谷仲殿町」と称した(備考)。 1869(明治2)年、四谷仲町の東隣に位置するのに因み、四谷御駕籠町を「四谷東仲町」と改称して起立。1872(明治5)年、四谷仲町二丁目に編入となり消滅。現行の若葉一丁目の一部。

※上の『角川日本地名大辞典』の「四谷仲町の東隣に位置するのに因み」という説明であると、どうしても位置的に四谷尾張町のことかと混乱してしまうが、実は現・新宿区若葉一丁目17番にも四谷仲町が存在していた(『四ツ谷絵図』嘉永2-文久2(1849-1862)刊』や『今昔散歩重ね地図』にはあるが、『千駄ケ谷鮫ケ橋四ッ谷繪圖』や『大江戸今昔マップ』には描かれていない)。つまり、現・東京都新宿区若葉一丁目17番地にあった四谷仲町を中心に拡大されたのが、明治維新直後の四谷仲町であろうと考えられ、1869(明治2)年、その東側のブロックである現・新宿区若葉一丁目15番地にあった四谷仲町(こちらは『千駄ケ谷鮫ケ橋四ッ谷繪圖』や『大江戸今昔マップ』に描かれている)を中心として拡大されたのが当町・四谷東仲町となったのであろう。そう記述してあれば、『角川日本地名大辞典』の記述も合点がいく。つまり、1872(明治5)年、四谷仲町を拡張・整理する際、皇居に近い方から一丁目、二丁目、三丁目と分けられ、その二丁目となった四谷東仲町は消滅したである。

撮影場所:四谷東仲町

撮影地:新宿区若葉一丁目23番地1(学習院初等科)

刈豆店仲殿町 肴町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。