【牛込②】市ヶ谷火之番町

町名:市ヶ谷火之番町

読み方:いちがやひのばんちょう Ichigaya-Hinobanchō

区分:俗称

起立:江戸期

廃止:1872(明治5)年

冠称:「市ヶ谷」

後身:市ヶ谷田町市ヶ谷砂土原町

現町名:新宿区市谷砂土原町二・三丁目、市谷田町二丁目

概要:新宿区市谷砂土原町二・三丁目、市谷田町二丁目の古名。『市ヶ谷牛込繪圖』の市ヶ谷田町上二丁目と下二丁目の間の道(現・牛込中央通り)に、『大江戸今昔めぐり』には法政大学市ケ谷田町校舎(新宿区市谷田町二丁目33番地)の北の道(『市ヶ谷牛込繪圖』では「ウタサカ」とある)に「火之番丁」とある。

火之番は火事を見付けるのみで消火はしなかった。江戸の度重なる火災のため、幕府が寛永年間(1624~1644)に表火之番と奥火之番を与力・同心で組織し、城内の火の元を警戒させた。同時期には本格的な消防組織として大名火消が小大名16家によって編成され、交代で火消役を出した。当町は市ヶ谷に住居を充てられた火之番の居住区で、他に小石川火之番町があった。1872(明治5)年、市ヶ谷砂土原町二・三丁目、市ヶ谷田町に編入となり消滅。

撮影場所:市ヶ谷火之番町

撮影地:新宿区市谷田町二丁目33番地(法政大学市ケ谷田町校舎)

歌坂富士見横町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。