【本所②】北本所代地町

町名:北本所代地町

読み方:きたほんじょだいちちょう Kita-Honjo-Daichichō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1869(明治2)年

冠称:「北本所」

後身:本所太平町二丁目、本所吉岡町一丁目、柳島町

現町名:墨田区石原三丁目、太平二~四丁目、錦糸四丁目

概要:「代地」とは、御用地となって召し上げられた土地の代わりの意。法恩寺前(横)続き、吉岡町続き、柳島町続きの3ヶ所があった。法恩寺前(横)続きは1693(元禄6)年、吉岡町続きは1693(元禄6)年11月、柳島町続きは1693(元禄6)年12月に御用地となる。1713(正徳3)年に町方支配になり、代官所との両支配を受ける(備考)。1828(文政11)年の家数は、法恩寺前(横)続き8軒、吉岡町続き16軒、柳島町続き町人家作なし(書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、法恩寺前(横)続きは本所太平町二丁目、吉岡町続きは本所吉岡町一丁目、柳島町続きは柳島町に編入となり消滅。現行の石原三丁目、太平二~四丁目、錦糸四丁目のうち。

※『角川日本地名大辞典』では「現行の石原3丁目、太平2・4丁目、錦糸4丁目」とあるが、『本所絵図』と『北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一年八月ノ形』を見る限り、現・太平三丁目にも「北本所代地町」の名が見えるので間違い。なお、柳島町続きはどの地図を見ても確認できないため、そこが現行の太平四丁目、錦糸四丁目のうちであったことは不明であるが、そのまま掲載した。

撮影場所:北本所代地町(本所吉岡町続き北本所代地町)

撮影地:墨田区石原三丁目16番4号(BEANS珈琲)と墨田区石原三丁目15番3号(石原薬局)の間の道

中之郷代地町 本所吉岡町一丁目横町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。