【本所①029】柳島町

町番号:本所①029

町名:柳島町

読み方:やなぎしまちょう Yanagishimachō

区分:町丁

起立:1669(寛文9)年

廃止:1932(昭和7)年

冠称:なし

現町名:墨田区太平四丁目、錦糸四丁目

概要:横十間川の西側に位置する。往古は柳島村の田地であったが、1669(寛文9)年、柳島村内の一部に町屋起立が許される。1713(正徳3)年5月、町奉行、代官両支配となる(備考)。「柳島」の名はその出所が明らかではないが、この村内に柳樹が多くあり、開発して後に「柳島」の名を付したと伝えられている。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、柳島境町柳島裏町北本所代地町、堀長門守以下の下屋敷と旗本等の宅地を併合して町域を拡げた。1872(明治5)年の戸数87・人口353(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に編入。1891(明治24)年、本所花月町を編入(ある資料には、「同年、柳島裏町、柳島飛地建部耕地のうち、元八右衛門新田耕地字錦糸堀耕地、亀戸村飛地字矢場耕地のうち、太平町二丁目の一部、深川六間堀代地町、柳島町続き北本所代地町を合併」とある)。

帝都復興計画の一環により、1931(昭和6)~1932(昭和7)年にかけて、太平町四丁目、錦糸町四丁目に編入となり消滅。

墨田区立錦糸公園は、1928(昭和3)年に台東区立隅田公園、墨田区立隅田公園、中央区立浜町公園とともに帝都復興計画により建設された。災害時の避難場所を兼ねての公園として誕生したが、17年後の東京大空襲では約1万3千体の遺体が仮埋葬されることになった。これは仮埋葬地の中で最大の遺体数であった。下町勤労市民の憩いの場は、巨大な墓地となった。仮埋葬された遺体を再び掘り起こし、東京都慰霊堂に納骨する作業は1948(昭和23)年から3年もかかった。なお、園内には千種稲荷神社がある。明治時代に当地が旧陸軍糧秣厰となった際、稲荷神社を取り払うと再三火災が発生。そこで再び神社を建立すると一切火災が起こらなくなったと伝えられ、火除けの守護神として残された。関東大震災や東京大空襲でも当地に被害はなく、多くの近隣住民が境内に避難し戦火を逃れた。また、オリナスのあるところは精工舎の事務所兼工場で、白く聳え立つ時計塔は錦糸町のシンボルだったが、1997(平成9)年に工場が閉鎖し、2001(平成13)年に東京都都市計画が決定、2002(平成14)年に惜しくも解体された。柳島町町域は現在、墨田区立錦糸公園とショッピングモールオリナスが大部分を占めている。

撮影場所:柳島町

撮影地:墨田区錦糸四丁目15番60号(墨田区立錦糸公園 千種稲荷神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:市ヶ谷田町下二丁目