【日本橋 小路】両国西広小路
小路名:両国西広小路
読み方:りょうごくにしひろこうじ Ryōgoku-Nishi-hirokōji
区分:小路
成立:江戸期
廃止:不明
現町名:中央区東日本橋二丁目
概要:『日本橋北内神田兩國濱町明細繪圖』に「○両国広小路」と、『江戸切繪圖 : 俚俗 : 人形町・浜町・両国辺』には「●両国西広小路」とある。江戸期は日本橋北部、横山町三丁目、米沢町一~三丁目、元柳河岸と吉川町、新柳町の間、両国橋西詰の火除地一帯を称した。明暦の大火後、1659(万治2)年に両国橋が架けられ、明和(1764~1772年)・安永年間(1772~1781年)頃から見世物・芝居小屋・茶店等が建ち並ぶ盛り場となった。『画報』は「明治五、六年頃迄は、此処、観物・芝居・辻講釈或は納涼・花火と、昼夜の遊興絶間なかりしなり」と記す。1897(明治30)年頃、市区改正で著しい変更を見、『画報』は1900(明治33)年頃の両国広小路のありさまを「近年旧態を一掃して、商家櫛比、殷賑の市街とはなりにき」と描いている。両国広小路も参照のこと。
撮影場所:両国西広小路
0コメント