【神田①005】神田小柳町

町番号:神田①005

町名:神田小柳町

読み方:かんだこやなぎちょう Kanda-Koyanagichō

区分:町丁

起立:1698(元禄11)年

廃止:1933(昭和8)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「神田」

現町名:千代田区神田須田町一丁目7、18、20、22番、二丁目1、21番地

概要:筋違橋御門内東南、通新石町須田町東側に神田小柳町一~三丁目があった。1698(元禄11)年の火災後、上野山下下谷町一丁目から移され、柳原土手下にあったため、「神田小柳町」の名が付いた。この地は1657(明暦3)年以前は浄土宗田島誓願寺の寺地であった。その後は土井利益の屋敷だったが、1698(元禄11)年に寛永寺領となる(東京地理志料)。1628(寛永5)年に類焼、神田小柳町三丁目内はその後、寛政年間(1789~1801年)までには火除地となり、下谷御成町に代地を与えられた。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、二丁目の一部が神田平永町神田黒門町に編入される。1872(明治5)年、一~三丁目を廃す。同年の戸数411・人口1,603(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。明治30年代の町内には明進小学校、速成実用英語夜学会、東京信用銀行、寄席の小柳亭等があった(画報)。

1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、神田須田町一・二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:神田小柳町

撮影地:千代田区神田須田町一丁目7番地(JR小柳橋架道橋)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。