【神田①019】神田花岡町
町番号:神田①019
町名:神田花岡町
区分:町丁
読み方:かんだはなおかちょう Kanda-Hanaokachō
起立:1874(明治7)年
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」
現町名:千代田区神田花岡町、外神田一丁目
概要:1869(明治2)年の大火により被害を受けた焼失地には、もともと下谷練塀小路等の狭い路地が多く、消火活動が困難であること、さらに今後火災発生時の延焼を防ぐことを理由に以前からの居住者に対し、代替地及び金銭の保証をした上で転居を促し、「秋葉の原火除地」という広大な火除け地(現・JR秋葉原駅やヨドバシAkibaの一帯)を設けた。この火除け地は東西に長い長方形(北側:242.2メートル/東側:105.1メートル/南側:279.3メートル/西側:110メートル)で、面積は約9,000坪(約29,750平方メートル)を有し、周りを土手で囲い、神田佐久間町に隣接した南側には1870(明治3)10月15日、火除地中央からやや東側に火伏せのために秋葉神社社殿(南北:5.5メートル/東西:7.3メートル)を造営した。この鎮火神社(鎮火社)は1873年(明治6)年1月17日に神田明神の管轄となる。この火除け地の敷地内は立ち入り可能であったが、草木の採取や馬車等の通行は禁じられていた。
1874(明治7)年にはもと神田八軒町、もと神田六軒町等10ヶ町であった火除地の住所が「神田花岡町」に設定された。町名は境内に草花が多く栽培されていたため(画報)。後に火除け地は防火という目的が弱まり、人々が集う場となったことで貸自転車や貸馬、見世物小屋や飲食の屋台が立ち並び、興行として曲芸(サーカス)が開催されることもあった。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1890(明治23)年に国鉄の秋葉原貨物取扱所が設けられて以後、当町の国鉄敷地は拡張された。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1964(昭和39)年12月1日、一部を現行の外神田一丁目に編入。
撮影場所:神田花岡町
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