【神田①050】豊島町
町番号:神田①050
町名:豊島町
読み方:としまちょう Toshimachō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1965(昭和40)年6月30日
冠称:1947(昭和22)年3月15日から1965(昭和40)年6月30日まで「神田」
現町名:千代田区東神田一丁目6~11番、二丁目1~5番、岩本町三丁目
概要:古くは「トヨシマ丁」(江府名勝志)とも呼んだ。柳原土手下、新シ橋南側に江戸期から1879(明治12)年まで一~三丁目があった。
1690(元禄3)年までは湯島にあった町(湯島一~三丁目の北側にあった町屋)で、湯島聖堂建設の時に収公され、もと山名禅閤等の武家地又は天岳院・修現院(寛永江戸図)等の寺地だった当地を代地として与えられた。町名は「豊島郡に豊島村があるのだから豊島町があってもよいだろう」という奉行の発案という(東京地理志料)。
ただし、転居の時期は諸説あり、『千代田区町名由来板』では、1703(元禄16)年に、湯島一丁目、同二丁目、同三丁目(現・文京区湯島一丁目周辺)の北側にあった町屋が、地震による火事で類焼し、翌1704(元禄17)年、転居地として武家屋敷跡であったこの辺りに移転し、豊島町が成立したとある。
また、同由来板には、「江戸時代、このあたりには「比丘尼横丁(びくによこちょう)」や、髪油として美男葛(びなんかずら)の油を売る店もあったことから俗に「桂横丁(かつらよこちょう)」と呼ばれた通りもありました」とある。
また、江戸期、町内には銘茶所伊勢屋、菓子屋鶴屋、水油仲買桝屋があり(買物独案内)、豆腐酒芋酒屋の鬼熊、雑菓子卸の青野屋もあり(食物独案内)、大変賑わっていた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、元岩井町の一部を一丁目に合併。1872(明治5)年の戸数722・人口2,880(府志料)。物産は木櫛・魚油蝋燭・鼈甲細工があった(府志料)。明治期、町内には豊島館(旅館)や龍角散の藤井薬種店、鈴木砂糖商等があった。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1879(明治12)年、一~三丁目を廃した。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、一部を東神田に編入、東龍閑町を合併。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。1953(昭和28)年、神田岩本町・神田大和町・神田元岩井町の一部を編入。
住居表示の実施により、1964(昭和40)年1月1日、東神田一・二丁目のそれぞれ一部に、1965(昭和40)年7月1日、岩本町三丁目に編入となり消滅。
※『角川日本地名大辞典』では「昭和40~42年に現行の東神田1~2丁目・岩本町3丁目となる」とある。
撮影場所:豊島町
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