【芝①057】芝西応寺町
町番号:芝①057
町名:芝西応寺町
読み方:しばさいおうじちょう Shiba-Saiōjichō
区分:町丁
起立:1607(慶長12)年
廃止:1964(昭和39)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「芝」
現町名:港区芝二丁目23~26番及び15、27~31番の一部
概要:1591(天正19)年11月、西応寺に家康から下付された境内拝領地のうちで、西応寺領分であったところに、1607(慶長12)年に町屋が許可された古町の1つと伝えるが、江戸初期成立。門前町にある例のように門前の語を町名の中に含んでいない。しかし沽券地町屋で西応寺へ年貢を納めている。
1662(寛文2)年、町奉行支配となる。1729(享保14)年7月、町域の西通り、北通りのうち、857坪余を用地に召し上げられ、木挽町三・四丁目の裏通り広小路に同坪の代地を与えられたが(芝西応寺町代地)、1785(天明5)年2月同代地はさらに上納地となり、木挽町四丁目裏通り馬場と同所の上納地跡へ移った。近世末に町域は西応寺(1858(安政5)年7月、日本最初のオランダ公使館)境内の全周囲と、他に「七軒」と呼ぶ飛地が、当時の金杉裏四・五丁目にあった。町域には付近の了善寺、法泉寺所有の沽券地があった。1827(文政10)年の家数379軒、うち家持21・家守36・地借8・店借264(町方書上)。町内に「北町」、「西町」、「南町」、「原町」の俗称があり、南の入間川(いりあいがわ。「いるまがわ」とも)に「廻橋」とも「西応寺橋」とも呼ぶ橋が架かっている。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、芝金杉安楽寺門前を合併。1872(明治5)年に西応寺と法泉寺の境内を合併し、この町域が1964(昭和39)年まで続いた。1872(明治5)年の戸数186・人口691、人力車32両で比較的多い(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1964(昭和39)年7月1日、住居表示の実施により、現行の芝二丁目23~26番及び15、27~31番の一部となって消滅。
撮影場所:芝西応寺町
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