【芝①088】三田豊岡町

町番号:芝①088

町名:三田豊岡町

読み方:みたとよおかちょう Mita-Toyookachō

区分:町丁

起立:1708(宝永5)年

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:「三田」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」

現町名:港区三田四丁目3、6番、7番2~32号、五丁目2~12番、13番3~13号、14番1~14号、18~20号

概要:古くは三田村のうちの原野であったが、次第に武家屋敷が置かれ、屋敷地以外の土地を1708(宝永5)年に御数寄御路次の者が町屋敷として受け、その時から「三田豊岡町」と唱えた。町名は開拓者の姓によるという説がある。1713(正徳3)年、町奉行支配となる(町方書上)。また1635(寛永12)年の江戸府内の寺院大移動で、町域の南部にいくつかの寺が移ってきたので一時期俗に「寺町」といわれた(港区史)。1828(文政11)年の総家数52軒、うち地借家守5・地借7・店借40(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、三田随応寺門前、三田豊岡町続麻布善福寺門前代地町を合併。1872(明治5)年、美濃郡上藩青山氏下屋敷等の武家地と、曹洞宗普門山慈眼寺、浄土宗郭然山林泉寺、新義真言宗明王院、天台宗滝高山玉泉寺、浄土宗金洞山随応寺、同宗月照山称讃寺、同宗寿命山長松寺、龍源寺等の寺地を合併した。同年の戸数61・人口183(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数550・人口2,492。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、現行の三田四丁目3、6番、7番2~32号、五丁目2~12番、13番3~13号、14番1~14号、18~20号となり消滅。

※『江戸明治東京重ね地図』(明治)では「三田富岡町」となっている。

撮影場所:三田豊岡町

撮影地:港区三田五丁目14番18号(コインパーク三田5丁目駐車場)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。