【四谷①018】四谷左門町
町番号:四谷①018
町名:四谷左門町
読み方:よつやさもんちょう Yotsuya-Samonchō
起立:1872(明治5)年
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「四谷」
現町名:新宿区左門町
概要:潮踏の里。延宝(1673~1681年)の頃まで、御先手組の諏訪左門の大縄地があり、俗に「左門殿町」と呼ばれていた。「四谷寺町の末より北方大通りへ出る所の武家屋敷なり、この辺右京(殿)町、右馬(殿横)町いずれもこの開闢の時、組屋敷は頭の名もって名づく、(中略)左門町はいにしへ延宝年中まで、諏訪左門殿組屋敷なり、故にかく呼び来たりしや」(江戸鹿子)。当初、5万坪余の広大な地に諏訪組の与力11騎、同心50人が居住した。
なお、「左門」とは、「吾妻百官」や「江戸官名」と呼ばれた律令制度の官名に似せて作った通り名の一つで。「丹下」、「左膳」、「龍馬」、「左内」等々、自由に創作されたので100以上ある。「大輔」は官名で、「大介」、「大助」、「大祐」、「太助」等は江戸官名。
当町は、江戸時代に鶴屋南北による怪談話『東海道四谷怪談』に登場する「お岩」が居住していた地としても知られている。当地には「お岩」を祀った於岩稲荷が存在するが、史実としてお岩自身は一般的に「四谷怪談」で知られるような恐ろしい女性ではなく、大変仲睦まじい夫婦の妻であり、良く働き家庭を支え続けた健気な女性であったといわれている。地名の由来は、この地に江戸幕府の先手組組頭・諏訪左門の組屋敷があったことに因んでいる。
1872(明治5)年、忍原横町西側の大縄地武家地を併合して起立。同年の戸数161・人口721(府志料)。町域中央を東西に貫く小路を「左門殿横町」又は「鬼横町」といった。
1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都四谷区に所属。その際、四谷平長町を編入。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
撮影場所:四谷左門町
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