【四谷①019】四谷東信濃町

町番号:四谷①019

町名:四谷東信濃町

読み方:よつやひがししなのまち Yotsuya-Higashi-Shinanomachi

区分:町丁

起立:1872(明治5)年7月

廃止:1943(昭和18)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「四谷」

現町名:新宿区信濃町、南元町

概要:古くは豊島郡野方領四谷村に属し、江戸期には大和櫛羅藩永井氏(受領名信濃守)と美濃加納藩永井氏の下屋敷があったので、俗に「信濃殿町」、「信濃ノ原」と称していた(備考)。『備考』には、「信濃原 信濃町とも云 鮫ケ橋の接地なり 永井信濃守屋舗あるゆえの里俗名なりという」とある。

1872(明治5)年7月、現在の外苑東通りで南北に2分、それぞれ近隣の武家地を併合して、四谷東信濃町、千駄ヶ谷西信濃町と称した。同年の戸数24・人口81(府志料)。「甚だ静粛なりしが、今や其の西通りは商家櫛比して繁栄せり。是れ南に信濃町停車場と練兵場附近にありて、軍人の来往頻繁なるに因れり」(画報)。

1878(明治11)年11月2日、四谷東信濃町は東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。1894(明治27)年、四谷東信濃町の南東端に甲武鉄道(現・JR中央線)の停車場が開設。『画報』には「東望すれば鮫ケ橋目下に在り遠く赤坂離宮を拝するを得べし西南は練兵場にて、遙かに富士・箱根の諸山を望み、四時共に愛玩すべし」と見える。また田山花袋は「大きな飛行船が、青山の練兵場の上で、その操縦力を失って、不思議なその怪魚が、信濃町の電車の停留場の上に宙有にさまよっていたことなどもあった」と『東京の三十年』に記す。

1943(昭和18)年4月1日、西信濃町平長町、合併し、正式に起立となった信濃町(東京都四谷区所属)に編入となり消滅。

撮影場所:四谷東信濃町

撮影地:新宿区信濃町30番地4(東西哲学書院本社ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。