【小石川①010】小石川新諏訪町
町番号:小石川①010
町名:小石川新諏訪町
読み方:こいしかわしんすわちょう Koishikawa-Shin-Suwachō
区分:町丁
起立:1871(明治4)年2月
廃止:1964(昭和39)年7月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区後楽二丁目
概要:1871(明治4)年2月、江戸期には隆慶橋東側の雁木横町といった所と明治期に入って小日向三軒町代地で「小日向東三軒町」と俗称していた土地が合併し起立。移転してきたのは小日向三軒町の一部、小日向茗荷谷町の一部、小日向正智院前町。町名は諏訪神社のある北側の小石川諏訪町に対する。1872(明治5)年の戸数72・人口293(府志料)。
江戸時代、江戸川(神田川)は御留川(御止川)で禁漁であった。江戸川が外堀に注ぐすぐ手前の橋が船河原橋で、そこから下流は禁漁でなかった。橋の下手が堰止めてあり、水が「ドンド」と音を立てて流れ落ちたので俗に「ドンド橋」といわれた。橋の滝の下は下ってくる魚を獲えるために網を張り、釣り糸を垂れる人が多かった。船河原橋下を「蚊屋が淵」といった。
『小石川区土地概評価.大正11年3月調』には、「南に神田川、西に江戸川あり。神田川岸即ち市兵衛河岸と相対する電車通は河岸と関聯したる商業地。其他は江戸川岸の住宅地。砲兵工廠側の工業地、諏訪町界の小売商等多少色彩を異にする處あれど要するに雑然たる處にして小石川区の下町とも称すべき趣きあり。」とある。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、後楽二丁目に編入となり消滅。
※『角川日本地名大辞典』には1872(明治5)年の成立とあるが、『文京区史』の1871(明治4)年2月を採用。
撮影場所:小石川新諏訪町
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