【小石川①066】雑司ヶ谷町

町番号:小石川①066

町名:雑司ヶ谷町

読み方:ぞうしがやちょう Zōshigayachō

区分:町丁

起立:1746(延享3)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:なし

現町名:文京区目白台二・三丁目

概要:1746(延享3)年、雑司ヶ谷村の百姓町屋が町奉行支配となる。化政期(1804~1830年)の家数152軒(町方書上)。俚俗に「御嶽(御嶽町)」、「畑町(雑司ヶ谷畑町)」、「大門(雑司ヶ谷大門町)」、「柳下(雑司ヶ谷桺町)」、「仲町(雑司ヶ谷仲町)」、「清土(雑司ヶ谷清土町)」と称するところがあった。鎮守は鬼子母神で、道筋には天正年間(1573~1592年)頃より欅並木があり、境内には正徳年中(1711~1715年)より手製の川口飴を売る者がいて、大いに繁盛した(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、鬼子母神門前(雑司ヶ谷鬼子母神町)、本染寺門前(雑司ヶ谷本染寺町)を合併。後に一部を郡部に転属させる。同年の戸数135・人口589(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1908(明治41)年、永楽病院(現在の東京大学医学部付属病院分院)が移転。当時は文部省管轄であったが、1917(大正6)年に東京帝国大学に移管される。また『花紅葉』等を著した大町桂月は明治40年代当町に居住していた。町内には鬼子母神堂、豊川稲荷社、臨済宗山高山桂林寺等がある。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、目白台二・三丁目に編入となり消滅。

なお、飛地は1889(明治22)年5月1日、飛地は北豊島郡高田村大字雑司ヶ谷町となる。1920(大正9)年4月3日、高田村が町制施行する。したがって飛地は北豊島郡高田町大字雑司ヶ谷町となる。さらに1932(昭和7)年10月1日には、高田町は巣鴨町、西巣鴨町、長崎町と合併し、豊島区のうちとなり東京市に編入、豊島区雑司ヶ谷一、三丁目、日出町二丁目に再編される。

撮影場所:雑司ヶ谷町

撮影地:文京区目白台三丁目26番1号(腰掛稲荷神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。