【下谷①004】下谷仲御徒町

町番号:下谷①004

町名:下谷仲御徒町 一~四丁目

読み方:したやなかおかちまち Shitaya-Naka-Okachimachi

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:1964(昭和39)年9月30日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区上野三、五・六丁目

概要:この地は徳川家康入府当時から幕末まで徒士組屋敷があった。僅かに武家屋敷や寺院があったが、それは狭い地域に限られた。江戸時代のいつの頃からかはっきりしないが、この附近を俗に「中御徒町」と称し、書き表した。一時「なかかちまち(仲徒町)」とも称した。江戸初期は豊島郡下谷村のうちと伝え、名称の謂れは徒士組の屋敷地が御成道(現・中央通り)と和泉橋通り(現・昭和通り)の中間に位置していたということから。

1872(明治5)年、それまで俗に「中御徒町」と呼ばれていたが、二丁目は下谷長者町二丁目横町北側、和泉橋通御徒町西側、青石横町南側を、四丁目は啓運寺を合併。同年の戸数474・人口2,144(府志料)。南北に細長く、南から北へ一~四丁目があった。その後、町名の「中」を「仲」の字に改めた。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。「もと武家組屋敷にして甚だ整粛の地なるしが、明治以後漸次変遷し、方今は大半市店となり、且つ四丁目は上野鉄道停車場に対するを以て旅館相対し、殊に繁華を極む」(画報)。昭和初年、上野~神田間の高架線と昭和通り(国道4号)の建設で東西の町域を縮小。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

住居表示の実施により、1964(昭和39)年1月1日に三丁目が上野三、五・六丁目に、1964(昭和39)年10月1日には、一・二丁目全域が上野五丁目に、四丁目全域が上野六丁目に編入となり消滅。地下鉄日比谷線の駅名にその名を留める。

撮影場所:下谷仲御徒町三丁目

撮影地:台東区上野六丁目4番4号(マルイ商店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。