【下谷①007】下谷同朋町

町番号:下谷①007

町名:下谷同朋町

読み方:したやどうぼうちょう Shitaya-Dōbōchō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1964(昭和39)年9月30日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区上野三丁目25・26番

概要:寛文江戸図がこの地に「町」と記入し、江戸初期の成立と推定される。この地は慶長(1596~1615年)から寛保(1741~1744年)にかけて幕府の拝領屋敷として徐々に町地が形成されていき、同朋衆が多数居住していたことに因み、この名が付けられたという。「慶長・元和・天和・元禄・寛保頃追々の拝領にて、多分御坊主方拝領地に付下谷同朋町と唱候儀にも可有御座候哉に奉存候」(備考)とある。同朋衆とは、室町時代には殿中の雑役を務め、茶事を務めた僧体の小吏を指した。所謂、茶坊主である。江戸時代には幕府の役職で若年寄の配下に属し、江戸城中における大名の案内・衣服の着替え・刀剣の取扱い、茶・弁当の世話等をして、将軍外出の際には長刀を持って従った。同朋町というのは、江戸時の市内各所に存在していて、本郷(本郷同朋町)や神田(神田明神下同朋町)等にもあった。いずれも同朋衆の町屋敷だった所である。上野広小路の東側、上野一丁目の南隣にあった。そのさらに南側に下谷同朋町拝領町屋があって、1605(慶長10)年まで同地に浄土宗正行寺があり、「正行寺店」と俗称(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数55・人口319(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、上野三丁目に編入となり消滅。現行の上野三丁目25・26番。

撮影場所:下谷同朋町

撮影地:台東区上野三丁目26番(おかちまちパンダ広場)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。