【下谷①028】下谷練塀町
町番号:下谷①028
町名:下谷練塀町
読み方:したやねりべいちょう Shitaya-Neribeichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1964(昭和39)年9月30日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」
現町名:台東区秋葉原
概要:当町は秋葉原駅構内の鉄道敷地及び線路沿いの狭い範囲を町域にして、1872(明治5)年に起立。町名は元禄年間(1688~1704年)まで、この地に溝口信濃守の屋敷があり、練塀で囲まれていたため、この辺りが「下谷練塀小路」と呼ばれていたことによるという説(府志料)と、南の隅にあたる旗本河野家の屋敷に目立つ練塀があり、それが町名になったという説(備考)がある。同年の戸数75・人口375(府志料)。
当町には講談や芝居等でお馴染みの河内山宗春(歌舞伎では宗俊)が住んでいたといわれる。宗春等を題材にした講談『天保六花撰』を河竹黙阿弥が歌舞伎に脚色した。この芝居は今もしばしば上演されている。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1890(明治23)年、上野~秋葉原間に貨物線開通で町は二分された。次いで1925(大正14)年の上野~神田間高架線開通によって秋葉原駅は拡張され、町は狭くなった。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。同年9月15日、下谷・神田両区の境界変更で東京都下谷区練塀町の一部を東京都神田区に、東京都神田区松永町の一部を東京都下谷区に編入。この時点で東京都神田区練塀町の北に東京都下谷区練塀町が、東京都神田区松永町の北に東京都下谷区松永町が存在することになった。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、松永町とともに秋葉原に編入となり消滅。なお、神田練塀町は住居表示の実施により、1964(昭和39)年12月1日に一部が千代田区外神田四丁目に編入となるが、残余は住居表示未実施のまま現在に至る。
撮影場所:下谷練塀町
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