【神田①022】神田松永町

町番号:神田①022

町名:神田松永町

読み方:かんだまつながちょう Kanda-Matsunagachō

区分:町丁

起立:1699(元禄12)年

廃止:存続

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」

現町名:台東区秋葉原、千代田区神田松永町、神田花岡町

概要:1698(元禄11)年、神田鎌倉町から西紺屋町に至る15ヶ町の河岸通りが御堀端普請のため収公され、1699(元禄12)年、神田佐久間町の北側に代地を与えられて起立。のち享保年間(1716~1735年)、神田佐久間町の一部が火除地となり北側へ移転したため、当町も北側の徒士組屋敷跡に移った(備考・沿革図書)。町内は3ヶ所に分かれ、「大通」、「中通」、「片町」と俗称され、また神田川の和泉橋に至る東側の通りを「和泉橋通」と称した(備考)。

幕府との関わりも深い土地で、『文政町方書上』によれば、町ができた当時、幕府お抱え絵師・狩野探信の拝領屋敷も町内にあったとのこと。狩野派は幕府や朝廷の御用絵師として栄え、探信の父の探幽は、『鵜飼図屏風』や二条城二の丸の障壁画等で知られていた。また、弓を射るときに用いる「ゆがけ」を作る御用職人・釘元又左衛門が住んでいた(「買物独案内)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年11月の火災で南側の一部(中通と片町)は火除地となり、その後に神田花岡町となる。1872(明治5)年、大通は北の武家地である御徒町を合併。同年の戸数303・人口1,091(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。明治期には、森鴎外が住んでおり、夏目漱石が小説『草枕』の中で当町に触れている。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。同年9月15日 、下谷区と神田区の区境変更により、神田区松永町の一部を下谷区に(1964(昭和39)年10月1日から、下谷区側の練塀町の残余と合併し秋葉原成立)、下谷区練塀町の一部を神田区に編入。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。千代田区の成立に伴い、残余は現行の神田松永町となる。

撮影場所:神田松永町

撮影地:千代田区神田松永町4番地1(神田松永町ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。