【下谷①041】五條町

町番号:下谷①041

町名:五條町

読み方:ごじょうまち Gojōmachi

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1964(昭和39)年9月30日

冠称:なし

現町名:台東区上野四、六丁目、上野公園

概要:前身は下谷五條天神門前(町)。1869(明治2)年、下谷五條天神門前(町)と瀬川屋敷、元黒門町飛地を併せて起立。町名の由来は町内に五條天神があったことに因む。1872(明治5)年の戸数18・人口95(府志料)。

五條天神は室町時代からその名を知られる古社である。江戸時代初期までは上野公園内東京文化会館西側に現存する摺鉢山(上野山内天神山)上にあった。1638(寛永15)年、寛永寺の創建に伴って、今の公園正面の石段下(黒門前)に移った。1697(元禄10)年にはこの地に移転し、やがて門前町も開かれていった。瀬川屋敷は幕府御連歌師・瀬川昌佐が1638(寛永15)年に三代将軍家光から拝領した地であり、下谷町二丁目にあった。1811(文化8)年、下谷町二丁目から分立し、下谷五條天神門前(町)を称するようになった。瀬川氏は五條天神の別当を兼ねていた。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1923(大正12)年、五條天神は同社地が鉄道用地に収用されたので、1925(大正14)年9月に上野公園4番に再移転、現在に至っている。1936(昭和11)年、町域の大部分を敷地として京成ビルが建設された。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、上野四、六丁目、上野公園にそれぞれ編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和39~42年、大部分が現行の上野4丁目、国電高架下の地が上野6丁目、残余が上野公園となる」とある。

撮影場所:五條町

撮影地:台東区上野四丁目10番10号(ヨドバシカメラ マルチメディア上野)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。