【下谷①046】谷中初音町

町番号:下谷①046

町名:谷中初音町 一~四丁目

読み方:やなかはつねちょう Yanaka-Hatsunechō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年、四丁目のみ1871(明治4)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:「谷中」

現町名:台東区谷中三、五~七丁目

概要:本町は1869(明治2)年、江戸時代の町名を改めて、一~三丁目に分けられて誕生。

一丁目は、1869(明治2)年、1702(元禄15)年に町屋開設を願い出て許された谷中天王寺新門前町が改称して起立。1871(明治4)年、南北に2分されたが、1873(明治6)年には旧に復し、1891(明治24)年には谷中町谷中三崎町の各一部を併合。二丁目は、1869(明治2)年、1704(元禄17)年に町屋開設を許された谷中天王寺中門前町が改称して起立。三丁目は、1869(明治2)年、1648(慶安元)年に町屋が形成された谷中天王寺古門前町が改称して起立。1873(明治6)年に近隣の地を併合。1889(明治22)~1891(明治24)年には一部を谷中三崎町に編入し、同時に谷中七面前町谷中片町を併合。四丁目は、1871(明治4)年、俗に六阿弥陀横町或いは御切手町と称する地域を町域として起立。

町名の由来は鶯の初音に因み、後の四丁目に「鶯谷」と呼ばれる所があることから命名された(「四町目にある鶯谷より起これるなり」(府志料))。江戸時代、輪王寺宮(東叡山主)が京都から鶯を取り寄せて放った所であり、この辺りには鳴き声の良い鶯がたくさんいたという。また、霊梅院の境内には初音の森があったが、火事で焼けてしまい、その名のみが残ったという。1872(明治5)年の戸数252・人口731(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1889(明治22)年若しくは1891(明治24)年、三丁目が東京府北豊島郡谷中村、日暮里村、駒込村の各一部を編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、一丁目は現行の谷中五・六丁目に、二丁目は谷中七丁目に、三丁目は谷中五、七丁目に、四丁目は谷中三、五丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「大阿弥陀横町」とあるが間違い。

撮影場所:谷中初音町一丁目

撮影地:台東区谷中五丁目2番4号(初音山観智院)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。