【深川①086】深川本村町

町番号:深川①086

町名:深川本村町

読み方:ふかがわほんむらちょう Fukagawa-Hommurachō

区分:町丁

起立:1891(明治24)年

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区猿江二丁目、住吉二丁目、毛利一・二丁目

概要:1891(明治24)年、深川海辺町深川千田町深川東平井町深川西平井町深川古石場町とともに新設された町で、2年前の1889(明治22)年5月1日東京府南葛飾郡の深川本村字猿江裏耕地、深川本村字寄場耕地、毛利新田、深川猿江裏町の各一部から東京府東京市深川区に編入された。江戸期は幕府材木蔵が置かれていた。1884(明治17)年以降、後の町域の東大半を宮内省御料局貯木所(御科局猿江貯材所、南葛飾第1御料地)が占めた。

御科局猿江貯材所は、1733(享保18)年に江戸幕府公認の貯木場として開かれる貯木場であった。その後、明治政府御用達の貯木場になり、その後一般の人々に開かれた公園へと、用途が変更された。1924(大正13)年には皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚を記念して、猿江貯木場の一部を東京市に下賜(現在の南園部分)。1932(昭和7)年4月29日、南園部分が猿江恩賜公園として開園。1945(昭和20)年、東京大空襲焼死者の仮埋葬地となる。1972(昭和47)年、猿江貯木場廃止、東京都が跡地を買収(現在の北園部分)。1981(昭和56)年、北園が一部開園。1983(昭和58)年、北園完成に伴い、全面開園。

1943(昭和18)年7月1日、東京都深川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都江東区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、猿江町二丁目、住吉町二丁目、毛利町に編入となり消滅。現行の猿江二丁目、住吉二丁目、毛利一・二丁目。横十間川に「本村橋」の名が残る。

撮影場所:深川本村町

撮影地:江東区毛利二丁目13番7号(東京都立猿江恩賜公園)

←085深川古石場町 087深川海辺町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。