【神田②】神田鍋町北横町

町名:神田鍋町北横町

読み方:かんだなべちょうきたよこちょう Kanda-Nabechō-Kita-Yokochō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1869(明治2)年

冠称:「神田」

後身:通新石町神田鍋町

現町名:千代田区神田須田町一丁目34番地、神田鍛冶町三丁目5番地

概要:北は神田佐柄木町、東は通新石町神田鍋町、南は神田鍋町西横町、西は神田多町一・二丁目。『御府内備考』には里俗呼名として「せった町」が併記してある。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、北側が通新石町、南側が神田鍋町に編入となり消滅。

撮影場所:神田鍋町北横町

撮影地:千代田区神田鍛冶町三丁目5番地(広島お好み焼カープ東京支店)

神田鍋町東横町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。