【神田②】神田鍋町東横町

町名:神田鍋町東横町

読み方:かんだなべちょうひがしよこちょう Kanda-Nabechō-Higashi-Yokochō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1869(明治2)年

冠称:「神田」

後身:神田東鍋町松田町

現町名:千代田区鍛冶町二丁目9番4~7号、11番20号

概要:北は神田佐柄木町、東は通新石町神田鍋町、南は神田鍋町西横町、北は神田小柳町二丁目、東は松田町、南は神田鍛冶町二丁目、西は神田鍋町神田鍛冶町二丁目。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、北側が神田東鍋町、南側が松田町に編入となり消滅。

撮影場所:神田鍋町東横町

撮影地:千代田区鍛冶町二丁目9番5号(北京料理東園)

神田鍋町北横町 神田鍋町西横町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。