【深川②】深川南松代町
町名:深川南松代町 一~三丁目
読み方:ふかがわみなみまつしろちょう Fukagawa-Minami-Matsushirochō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1790(寛政2)年
冠称:「深川」
後身:猿江材木蔵火除地
現町名:江東区毛利二丁目
概要:葛飾郡西葛西領深川町分郷六間堀のうち。寛文年間(1661~1672年)に百姓町屋が許可され、1713(正徳3)年に町奉行・代官両支配となった。はじめは一~四丁目があった。町名は嘗て信濃松代藩真田氏抱屋敷があったことによるか(備考)。1768(明和5)年・1790(寛政2)年の火災により一~三丁目は焼失。火除地とされたため、代地を与えられ後の深川常盤町へ移転。一~三丁目の町域は人足寄場付火除明地となった(備考)(猿江材木蔵の火除地とも)。四丁目については火災から逃れたのか留まった。
横十間川を挟んで東の四丁目については深川南松代町(南葛飾)を、竪川を挟んで真北側については深川北松代町一~三丁目、深川北松代町裏町(後の本所松代町一~三丁目)を、北東側については深川北松代町四丁目(後の本所松代町四丁目)を参照のこと。
撮影場所:深川南松代町三丁目
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