【神田②】神田北寺町

町名:神田北寺町

読み方:かんだきたてらまち Kanda-Kita-Teramachi

区分:俗称

起立:江戸期

廃止:不明

冠称:「神田」

現町名:千代田区神田須田町一丁目16番地、神田東松下町18番地、岩本町二丁目15番

概要:神田錦町の辺りという話もあるが、当町と神田元誓願寺前町(俗称だが正しくは「元誓願寺前」)が同一であるという話もあるので、詳細が分かるまでは後者に従うことにした。

浄土宗系単立寺院の誓願寺は「田島山」と号す。誓願寺は相州小田原誓願寺開山見誉善悦の弟子で、相州小田原誓願寺住職の住職を勤めていた東誉魯水和尚を徳川家康が請て、1592(文禄元)年に銀町に創建、1596(慶長元)年に須田町への移転を経て、1657(明暦3)年の大火により浅草へ移転した。

須田町時代のその界隈である神田元誓願寺町は、馬ノ鞍横町の北側(神田きくかわ神田店がある一画…千代田区神田須田町一丁目16番地)と言われているが、そのとおりに描かれた地図を見たことがないので断定はできない。また、『江戸切繪圖 : 俚俗 : 内神田・鍛冶町・柳原迄』によると「元誓願寺前」は馬ノ鞍横町の北ではなく、市橋下総守長義の屋敷の南(神田永井町・富山町一丁目代地の西)にある。また『大江戸今昔めぐり』によると、千代田区神田東松下町18番地(高正ビル 三井製薬)の辺りと大和町代地の北(千代田区岩本町二丁目15番10号(マルシチビル ソウル味楽苑)の辺りにもある。

東京都中央区立京橋図書館による『郷土室だより』第75号には「この馬場(初音の馬場)の北側に面した一帯は神田北寺町とも呼ばれた“寺院団地”でした」とある。

撮影場所:神田北寺町

撮影地:千代田区神田須田町一丁目16番地(ヒューリック神田ビル(須田町GMビル))

神田寺町 神田元誓願寺町



江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。