【芝②】芝築地同朋町
町名:芝築地同朋町
読み方:しばつきじどうぼうちょう Shiba-Tsukiji-Dōbōchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「芝」
後身:御用地
現町名:港区芝二丁目
概要:『芝金杉より麻布白金御殿跡辺絵図 : 寛保延享之頃』の芝新堀河岸(古川 将監橋南詰西側)の位置に「芝築地同朋町」とある。『芝金杉ヨリ麻布白金御殿跡辺絵図』には「乗込馬場」とある。公称は「芝築地同朋町代地」であったようだ。芝新馬場同朋町も参照のこと。
1806(文化3)年3月4日、芝新馬場同朋町(芝築地同朋町)が芝車町からの出火で類焼し火除地となり、同年5月に赤羽根将監橋西方の河岸通り(古川の南岸)の明地に代地を受け、「芝築地同朋町代地」となった(備考)。現在の芝二丁目1番東部のうち。1827(文政10)年の家数61軒、うち家守6・地借8・店借47(町方書上)。その後さらに代地を受けたものとみえ、1862(文久2)年には空地となり、古川の対岸中ノ橋の西方、現在の東麻布二丁目35番の東部に「築地同朋町代地」の名が見える(沿革図書)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、芝南新門前一丁目代地、同二丁目代地、讃岐丸亀藩邸等の武家地を合併して起立となった芝新門前町に編入となり消滅(府志料)。
※『角川日本地名大辞典』には「同年5月に赤羽根中之橋西方の河岸通り(古川の南岸)の明地に代地を受け、芝築地同朋町代地となった(備考)。現在の三田1丁目3番のうち」とあるが、正しくは「同年5月に赤羽根将監橋西方の河岸通り(古川の南岸)の明地に代地を受け、芝築地同朋町代地となった(備考)。現在の芝二丁目1番東部のうち」が正しい。
撮影場所:芝築地同朋町
0コメント