【神田①007】神田材木町
町番号:神田①007
町名:神田材木町
読み方:かんだざいもくちょう Kanda-Zaimokuchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1965(昭和40)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」
現町名:千代田区岩本町一丁目2、5・6、8、11番と13番南、14番南
概要:1869(明治2)年、幸伯屋敷、大伝馬塩町、紺屋町二・三丁目横町蔵地、神田九軒町上納地、神田九軒町、小伝馬上町、小伝馬上町代地と岩本町、道有屋敷、柳原岩井町上納地の一部を併せて成立(『角川日本地名大辞典』には、「平田道有の屋敷、岩原幸伯拝領地、大伝馬町蔵地、紺屋町三丁目上納地、小伝馬上町代地、柳原岩井町上納地、神田九軒町、九軒町上納地、大伝馬塩町等、9ヶ所を併せて成立」とある)。
町名は竜閑川筋に面して船で運ばれた材木等を荷揚げする「材木河岸」から。多くの材木店が軒を連ねていた。江戸初期には知足院、弥勒寺、雲光院があったが天和年間(1681~1684年)に湯島に移転した(東京地理志料)。1872(明治5)年の戸数198・人口962(府志料)。腹掛、股引、足袋、簪等の職人がいた(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、岩井河岸の一部を編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1965(昭和40)年6月30日、住居表示実施により、岩本町一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:神田材木町
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