【日本橋①002】本石町

町番号:日本橋①002

町名:本石町 一~四丁目

読み方:ほんこくちょう Hon-Kokuchō

区分:町丁

起立:寛文年間(1661~1672年)頃

廃止:存続

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」

現町名:中央区日本橋本石町三・四丁目、日本橋室町三・四丁目、日本橋本町三・四丁目

概要:町名の由来は江戸初期、米穀商が集住していたことから。石町の名が成立したが、寛文年間(1661~1672年)頃、神田に新石町ができたことで「本石町」と改称した。

江戸期から1932(昭和7)年までは現在の日本橋本石町三丁目から日本橋室町三丁目、日本橋本町三丁目に至る地にあたり、西から東へ一~四丁目があった。

三丁目には1626(寛永3)年に辻源七時が移した「時の鐘」があり、通町筋(現・中央通り)から「時の鐘」まで折れる小道は「鐘つき新道」又は「鐘突堂新道」と呼ばれており、与謝野蕪村は鐘楼の下でしばし句会を開いたという。近くにオランダ商館長の江戸参府の定宿・長崎屋があった。「石町の鐘はオランダまで聞こえ」(柳多留)。その鐘は宝永年間(1704~1711年)の鋳造で、今も十思公園に残る。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数696・人口3,043で、士族は6戸のみ(府志料)。物産は煙管、革煙草入、籐造土瓶鈎、象牙根付、筆、鼈甲馬爪櫛、金銀箔等の工芸品(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、現行の日本橋本石町一~四丁目に町域を変更し、日本銀行を含むビル街となった。江戸期の二~四丁目が室町本町の一部となり、本両替町北鞘町金吹町本革屋町常盤町本銀町の一部乃至全部を合併し、本石町一~四丁目となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。

撮影場所:本石町二丁目

撮影地:中央区日本橋室町四丁目3番15号(三渓洞ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。