【麻布①034】麻布東町

町番号:麻布①034

町名:麻布東町

読み方:あざぶひがしまち Azabu-Higashimachi

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1966(昭和41)年3月31日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区南麻布一丁目5・6、8

概要:麻布山元町にある麻布山善福寺の門前町で、もとは「麻布善福寺門前東町」と呼んでいた。寺の東側にある門前町屋だったためで、寺を挟んで反対側の高台には「麻布善福寺門前西町」がある。1652(慶安5)年、門前町として起立したが、実際は自然発生的にそれ以前から町屋が固まっていたようだ。

小間36間1尺5寸門前町屋は1652(慶安5)年からあったもので、その後小間59間の門前町屋は1709(宝永6)年に願い出て、翌1710(宝永7)年に許可された。小間28間半の門前町屋は、1698(元禄11)年8月、町屋907坪余が新堀の用地となったとき、代地を三田に与えられ、「三田豊岡町続麻布善福寺門前代地町」と称した。元地は一時中絶したが、1712(正徳2)年4月に願い出て、翌1713(正徳3)年2月、もとのように許された。1745(延享2)に町方支配となった。

この一帯に「鷹石」という里俗称があり、周辺の里俗名に「鷹石横丁」があった。この名は伊豆から持ってきた黒い鳥の形をした石があったからだそうで、この石は1741(元文6)年に鈴ケ森八幡宮に奉納された。1828(文政11)年の総家数44軒、うち借地主7・店借37(町方書上)。

前身の麻布善福寺門前東町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「麻布東町」と改称。1872(明治5)年には三田古川上地跡、三田古川町の一部、麻布新屋敷の武家地を合併。同年の戸数65・人口262(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、南麻布一丁目5・6、8番に編入となり消滅。

撮影場所:麻布東町

撮影地:港区南麻布一丁目6番31号(称名寺)

←033麻布盛岡町 035麻布西町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。