【四谷①001】四谷伝馬町

町番号:四谷①001

町名:四谷伝馬町 一~三丁目

読み方:よつやてんまちょう Yotsuya-Temmachō

区分:町丁

起立:1638(寛永15)年

廃止:1943(昭和18)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「四谷」

現町名:新宿区四谷一~三丁目

概要:古くは豊島郡霞村のうち。俗に「関戸」と称した。1636(寛永13)年に四谷御門が設置されるまで空地であったが、1638(寛永15)年「天草陣御伝馬御用滞りなく勤めし其功によって、(日本橋)大伝馬町馬込勘解由に此所を下さる」(武江図説)。はじめ「四谷新大伝馬町」と称したが、後に「四谷伝馬町」と改称。「東は四谷見附の壕端に起こり、四谷大街に沿うて縄の如く、蛇の如く、蜿蜿と続く、其尾、西に走れり其間、犬牙錯綜、断又続、揺又曳、出入極まり無し」(画報)、東から西へ一~三丁目に分かれていた。寛文年間(1661~1672年)に一丁目の西側の旗本・高木九助の宅地を町屋とし、四谷伝馬町新一丁目と称した(備考)。1828(文政11)年の家数557軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、一丁目に四谷仲殿町西側の武家地を併合。同年の戸数522・人口2,220(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。一丁目の大通りを俗に「刈豆店」と称した他、町内に伝馬町大横町天王横町石切横町御仮屋横町法蔵寺横町荒木横町舟板横町菱屋横町があった。「四谷大通りなるを以て、商家櫛比、商況殷賑なり」(画報)。

1943(昭和18)年4月1日、一丁目は四谷一丁目、二丁目は四谷二丁目、三丁目は四谷三丁目に編入となり消滅。現行の四谷一~三丁目のうち。

※『角川日本地名大辞典』では「1丁目は四谷1丁目、2~3丁目は四谷3丁目の各一部地なる」とあるが間違い。

撮影場所:四谷伝馬町一丁目

撮影地:新宿区四谷一丁目19番地(しんみち通り最西側)

002四谷忍町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。