【下谷①017】下谷万年町

町番号:下谷①017

町名:下谷万年町 一・二丁目

読み方:したやまんねんちょう Shitaya-Mannenchō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1965(昭和40)年7月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区東上野四・五丁目、北上野一丁目

概要:昔、この辺り一帯は葦が茂る沼地であった。1616(元和2)年、この地を開いて黒鍬者の拝領屋敷としたので、俗に「下谷黒鍬町」と呼ばれていた。「黒鍬者」とは、戦国時代には軍備土工の役を務め、江戸時代になってからは江戸城に警備、工事、防火を職とするようになった。その後、1699(元禄12)年に町屋敷地になったのに伴い、東叡山即ち上野山の山裾に位置していたのに因んで「下谷山崎町」と呼ぶようになった。1768(明和5)年以後、一丁目に乞胸が住むようになり、二丁目には鞍馬方大蔵院配下の山伏が住んでいた。1828(文政11)年の家数611軒(町方書上)。

前身の下谷山崎町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、縁起を担いで「下谷万年町」と改称。本町は、関東大震災後の市区改正に伴い、西側に昭和通り、東側に清州橋通りが新設されたため、町域を狭めた。1872(明治5)年の戸数498・人口1,954(府志料)。当町と東隣の下谷山伏町の一帯は、芝の新網町、四谷の鮫河橋と並び称せられる貧民街であった。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1942(昭和17)年には、一丁目の一部が東京府浅草区神吉町に編入された。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、一丁目は東上野四丁目に、二丁目は北上野一丁目に編入となり消滅。また、神吉町に編入された部分も東上野五丁目となった。

撮影場所:下谷万年町一丁目

撮影地:台東区東上野四丁目11番8号(東京メトロ銀座線踏切)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。