【浅草①030】浅草小島町

町番号:浅草①030

町名:浅草小島町

読み方:あさくさこじまちょう Asakusa-Kojimachō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:存続 「小島」として

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1963(昭和38)年12月31日まで「浅草」

現町名:台東区小島一・二丁目、三筋一・二丁目

概要:1692(元禄5)年、弥十郎、次郎左衛門、甚右衛門の3人が新堀の浚渫を手伝い、沼地だった当地を拝領し、町屋を開いて「下谷小島町」と命名。その後、1764(明和元)年、3人の子孫が罪を得て収公され、同年能役者観世織部の拝領地となる(備考)。一説に「浅草猿屋町小島屋由之助(小島酉之助か)と申者先祖名主役相勤罷在、寛永七午年三味線堀川筋堀割の節、唯今小島町の所沼地にて有之候を右川筋堀立の土を以埋立候由、右に小島町と名付候」(備考)。いずれが正しいか不明。なお、「三味線堀」の名称は、堀の形状が三味線に似ていたことに因むといわれている。化政期(1804~1830年)の家数36軒(町方書上)。

前身の下谷小島町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、隣接する蝦夷松前藩松前家3万8,000石、下野烏山藩大久保家3万石、越後三日市藩柳沢家1万石の各上屋敷、近隣の武家地を合併して町域を拡げ、「浅草小島町」と改称。この時以来、当町はそれまで下谷に属していたのを浅草に鞍替えした。同年の戸数315・人口1,160(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年に一・二丁目に分割、その際、浅草西鳥越町の一部が一丁目に、浅草北三筋町の一部が二丁目に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1964(昭和39)年1月1日、住居表示の実施により、小島一・二丁目、三筋一・二丁目に編入となる。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和9年北三筋町の一部を編入し、1~2丁目に改編」とあるが、西鳥越町の一部もである。

撮影場所:浅草小島町

撮影地:台東区小島二丁目8番(如意輪観音)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。