【北豊島】上駒込村百姓町家
なお、「上駒込」について以下に詳述する。
[近世]上駒込 武蔵国豊島郡岩淵領のうち。『元禄郷帳』、『天保郷帳』には上・下2村合わせ記す。『新編武蔵』には分けて記され、化政期(1804~1830年)の家数は107軒。『旧高旧領』では伝通院領上駒込村とされ、村高は118石余。太田道灌が戦勝祈願をした妙義社や新義真言宗藤林山西福寺がある。日光御成道が貫通。産物に駒込茄子や庭木、盆栽がある。村内には伊勢津藩や藤堂氏抱屋敷をはじめ、大名寺院の抱屋敷が多くまた百姓屋敷も形成され、延享年間(1744~1748年)までに百姓町屋は町奉行支配となる。町奉行支配地を除き、残部の上駒込村は、明治元年11月5日(1868年12月18日)又は明治元年11月14日(1871年12月25日)、東京府豊島郡に所属。1878(明治11)年7月22日、東京府北豊島郡に所属。1872(明治5)年の戸数113・人口616、馬2匹(府志料)。1880(明治13)年、東京府本郷区駒込上富士前町の一部を編入(駒込上富士前町)。1889(明治22)年4月1日、巣鴨町の大字となる。
※『角川日本地名大辞典』には「明治13年本郷区駒込富士前町の一部を編入」とあるが間違い。
[近代]上駒込 巣鴨町の大字。1917(大正6)年、字南染井は大字巣鴨一・二丁目に編入。1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市豊島区駒込一~三、五・六丁目となる。
撮影場所:上駒込村百姓町家
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