【神田②】エテガク丁
町名:エテガク丁
読み方:えてがくちょう Etegakuchō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:不明(猿楽町は存続しているが、俗称が活きているか不明。但し、存続している猿楽町は丁目ありの猿楽町)
冠称:なし
後身:猿楽町(丁目なし)、猿楽町(丁目あり)の方は一丁目の一部のみ、中猿楽町、西小川町一・二丁目、北神保町、南神保町、裏神保町、表神保町
現町名:千代田区神田神保町一・二丁目、西神田一・二丁目
概要:町名は、慶長(1596~1615)頃に現・神田神保町一・二丁目から西神田一・二丁目にかけて猿楽師・観世大夫一団の屋敷があったことに由来する。屋敷は1659(万治2)年の神田川工事の折に移転したという。「猿」の俗称「エテ」より「エテガク丁」とも呼ばれた。『飯田町駿河臺小川町繪圖』には「表猿楽町」「裏サルガク丁」とある。
撮影場所:エテガク丁
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