【深川②】深川久右衛門町
町名:深川久右衛門町 一~三丁目
読み方:ふかがわきゅうえもんちょう Fukagawa-Kyūemonchō
区分:町丁
起立:1703(元禄16)年
廃止:1869(明治2)年
冠称:「深川」
現町名:江東区木場六丁目
概要:起立当初は一~三丁目があった。嘗ては海岸の干潟であったところ。元禄年間(1688~1704年)に埋め立てられ、「洲崎原(すざきのはら)」と称していた。1703(元禄16)年、洲崎原のうちを久右衛門が買い受けた。1713(正徳3)年、町奉行支配となる。三丁目は1769(明和6)年に代官支配となり、石小田新田・平井新田のうちとなった。1791(寛政3)年の高波で大きな被害を受けたため、1794(寛政6)年に幕府は家屋を取り払い、再建を禁止。深川久右衛門町一・二丁目は明地となった。その明地は1797(寛政9)年より深川吉祥寺門前町、深川入船町等9ヶ町により管理された。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、洲崎神社周辺が深川洲崎町、西が深川平久町一・二丁目に分割となり消滅。
※『角川日本地名大辞典』には「深川平久町と改称した(江東区史付図)」とあるが、深川平久町だけではない。また「文化年間(1804~1818年)に薬草植付場が置かれた」とあるが、それは深川平富町のことではないだろうか。さらに「現行の牡丹三・四丁目のうちか」とあるが、現行では木場六丁目である。
撮影場所:深川久右衛門町
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