【麻布②】龍土町

町名:龍土町

読み方:りゅうどちょう Ryūdochō

区分:総称

起立:江戸期

廃止:1869(明治2)年

冠称:なし

現町名:港区六本木三、五~七丁目、西麻布一丁目、南麻布一丁目

概要:江戸期~明治初年の町名。豊島郡麻布領のうち。元禄年間(1688~1704年)以前に龍土村を「龍土町」と改称。幕府領。『元禄郷帳』の石高は29石余、『天保郷帳』、『旧高旧領』ではともに28石余。『新編武蔵』によれば、町域は「地の大様、東は飯倉、西は青山、北は今井に接し、武家屋敷、寺院境内を隔て所々に跨る」とある。

「龍土」とは、もと海に面した芝愛宕西久保辺に漁師が多く居住した猟人村(りょうどむら)があったが、元和年間(1615~1624年)に猟人村が御料地となり、麻布領内に代地を拝領し移住した際、移住先の村名を「龍土」と改めたと伝える(新編武蔵、備考)。

「龍土村」は、豊島郡麻布領のうち。幕府領。『田園簿』の村高は田1石余、畑23石余、計24石余。その後、次第に町並が増加、『元禄郷帳』、『天保郷帳』、『旧高旧領』には「龍土町」と見える。

1713(正徳3)年、町奉行・代官の両支配となり、龍土町龍土材木町龍土坂口町龍土六本木町龍土町代地三田古川町の5町に分け、以上5町を総称して龍土町と唱えた。『新編武蔵』には「龍土町在方分」として神明社添地、法庵寺抱地を記す。明治初年、総称の龍土町は消滅。江戸期の各町は麻布龍土町麻布材木町麻布六本木町三田古川町となる。

撮影場所:龍土町(龍土材木町)

撮影地:港区六本木七丁目18番(ローソン港六本木通店)

三ヶ町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。