【小石川①046】小日向水道端

町番号:小石川①046

町名:小日向水道端 一・二丁目

読み方:こびなたすいどうばた Kobinata-Suidōbata

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1966(昭和41)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小日向」

現町名:文京区小日向一丁目、水道一・二丁目

概要:1872(明治5)年、持筒組屋敷、武家地、寺地が合併して成立。東から一・二丁目があった。町名は神田上水堀に沿う地であることによる俚俗名(画報、案内)。同年の戸数109・人口525(府志料)。江戸時代には武家地や寺地が多くあり、近隣の居住者には幕府から神田上水の定浚が命じられていた。また、現在の町域に沿って流れる江戸川(旧称)は、石切橋より上流が清流であった。そのため、紙漉き場ができて、神楽坂「相馬屋」の初代が紙を漉いていたほか、1881(明治14)年創業(1932(昭和7)年廃業)の長成舎により、「江戸川」を冠した巻紙や封筒、辞令用紙、株式用紙等が作られた。1884(明治17)年頃から小石川江戸川町の大海原某氏が植え始めたといわれる桜並木があり、近隣住民の協力もあって多い時には241本を数えるまでになり、小石川区内の一大名所として全市に誇るほどだった。しかし、1919(大正8)年に完工した護岸工事により殆ど失われてしまっている。その後の関東大震災では、地域としては辛うじて延焼を免れたものの、東京大空襲等戦災により焼け野原となった。

江戸時代より、小日向水道町小石川金杉水道町等と称していたこの界隈は現在、「水道」と一纏めにされている。地名の由来はこの地に神田上水(現・巻石通り)が通っていたことによる。当町はその神田上水沿いの南に存在していたために名付けられた。「水道端」の名は図書館に残る。なお、隣接する「西江戸川町」と「小日向武島町」の名は町会名に残っており、現在に至るまで祭事や行事の単位となっている。また往時、多くの文学作家が住んでおり、小日向水道端町域には広津柳浪、壺井繁治、平林初之輔がいた。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1886(明治19)年、日輪寺内に旗本の娘である山田千代によって日本最初の私立幼稚園の小石川幼稚園が建設された。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。小日向台先端の区域で、町内には曹洞宗慈照山日輪寺、浄土真宗鶴高山善仁寺、浄土真宗高源山本法寺等があった。日輪寺の地蔵は甘酒を飲むと咳が治ることから「甘酒地蔵」と呼ばれ、江戸期から信仰が篤かった。1905(明治38)年、東京実科学校が創設。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1964(昭和39)年8月1日に水道一丁目に、残余は1966(昭和41)年4月1日に小日向一丁目、水道二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:小日向水道端二丁目

撮影地:文京区水道二丁目18番12号(水道端住宅)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿