【芝②】麻布永松町
町名:麻布永松町
読み方:あざぶながまつちょう Azabu-Nagamatsuchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年
冠称:「麻布」
現町名:港区三田五丁目15番、16番の一部及び三田五丁目と白金一丁目の間の桜田通りの路面辺り
概要:この辺りは武蔵国豊島郡と荏原郡の境界であったため、時代によりその所属は変遷していたが、江戸期に麻布領麻布村の御領所となった。1709(宝永6)年12月19日に屋敷改めがあり、家作が許された(備考)。町名は町内北の方に古く松の大木があったことによる。
1700(元禄13)年3月、麻布南日ヶ窪町、麻布北日ヶ窪町の地面4ヶ所が、道路用地となり、代地を当町と入り合いの場所に下された。代地ではあるが「麻布永松町」と唱えている。1713(正徳3)年5月16日、町奉行支配となり(町方書上)、町奉行・代官の両支配となった。1828(文政11)年の総家数126軒、うち家持10・家主7・地借3・店借16。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、麻布南日ヶ窪町代地の一部を合併。1870(明治3)年6月、山の手武家地の衰疲が酷いため、繁華地近くに移転したいとの願いが三田古川町から出された(東京市史稿)。東京府志料には、神田美土代町旧来役屋敷であったが、明治以降に鹿児島藩邸となり、また三田古川町、麻布永松町、麻布今井町、元鮫河橋北町、神田竹町の代地となって「新三河町」と称し、さらに1872(明治5)年、「美土代町」と改称したとある。麻布永松町の住民は1870(明治3)年中に新三河町に移転し、魚籃坂下の通りの両側にあった町域のうち、1872(明治5)年に東側は三田松坂町に、西側は麻布田島町に編入となり消滅。現行の三田五丁目15番、16番の一部及び三田五丁目と白金一丁目の間の桜田通りの路面辺り。
撮影場所:麻布永松町
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