【本所②】北本所町
町名:北本所町
読み方:きたほんじょちょう Kita-Honjochō
区分:総称
起立:正保(1644~1648年)~元禄(1688~1704年)年間
廃止:明治10年代
冠称:なし
後身:本所表町、本所荒井町、本所番場町、本所太平町、深川扇橋町、深川和倉町等
現町名:墨田区東駒形一~三丁目、吾妻橋一丁目、本所一~三丁目、太平一丁目等、江東区三好四丁目、深川二丁目等
概要:葛飾郡西葛西領のうち。幕府領。正保(1644~1648年)~元禄(1688~1704年)年間に本所村が南・北本所町に分かれて成立。『元禄郷帳』の石高は262石余、『天保郷帳』では222石余、『旧高旧領』では232石余、地内は町場化が進み、1713(正徳3)年以降、北本所表町、北本所荒井町、北本所番場町、北本所出村町と深川扇橋続北本所代地町、深川蛤町続北本所代地町等、5ヶ所に散在する代地町が成立、町奉行・代官両支配となる。『新編武蔵』によれば、化政期(1804~1830年)の石高231石余、残余は竪川通り小名「六之橋」の北本所出村と武家・寺社の抱地、以上を総称して「北本所町」と称した。同書は「北本所町在方分」として津軽右京太夫、松山祺右衛門、本山七蔵等の抱屋敷、神宮寺、松林寺、本久寺、最勝寺等の除地を記載している。
明治10年代、総称としての北本所町は消滅、町奉行支配の各町は次第に本所表町、本所荒井町、本所番場町、本所太平町、深川扇橋町、深川和倉町等となる。
撮影場所:北本所町(北本所表町)
南本所町→
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