【深川②】深川平野町
町名:深川平野町
読み方:ふかがわひらのちょう Fukagawa-Hiranochō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:江戸期
復活:1932(昭和7)年
廃止:存続 「平野」として
冠称:東西分裂までと1947(昭和22)年3月15日から1970(昭和45)年3月31日まで「深川」
現町名:江東区平野一・二丁目
概要:深川東平野町、深川西平野町の古名。詳細は深川東平野町、深川西平野町を参照のこと。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、西平野町が一・二丁目の各一部に、霊巌町が一・二丁目の各一部に、東平野町が二・三丁目の各一部に、山本町と西永町が三丁目の一部に、吉永町、久永町、島崎町、三好町、扇橋町二丁目が四丁目となり、平野町復活。1943(昭和18)年7月1日、東京都深川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都江東区に所属。その際、再び「深川」の冠称を付す。
1970(昭和45)年4月1日、住居表示の実施により、深川三好町二丁目の一部を合併し、現行の平野一~四丁目となる。堀割に貯木場があったが、1978(昭和53)年、材木問屋は東京港の14号埋立地に移転。南に仙台堀川、東に大横川が流れている。三ツ目通りが三・四丁目との境。以前は一丁目に深川警察署があった。二丁目の日蓮宗浄心寺には清元節の始祖清元延寿太夫の墓をはじめ、洲崎遊郭の合葬祭、関東大震災供養塔がある。
撮影場所:深川平野町
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