送り拍子木
いよいよ最後!七不思議の10個目!
竪川の一之橋北詰辺りの馬車通りの始点からずんずんと東へ東へ。三ツ目通りを越え、大横川の撞木橋を目指す。
歌川国輝の絵、こりゃ恐ろしいな。
―以下全てお話部分はWikipediaを引用―
江戸時代の割下水付近を、「火の用心」と唱えながら拍子木を打って夜回りすると、打ち終えたはずの拍子木の音が同じような調子で繰り返して聞こえ、あたかも自分を送っているようだが、背後を振り向いても誰もいないという話である。実際には、静まり返った町中に拍子木の音が反響したに過ぎないとの指摘もあるが、雨の日、拍子木を打っていないのに拍子木の音が聞こえたという話もある。
同じく本所七不思議のひとつ「送り提灯」は、拍子木が提灯になったのみで、本項と同様の怪異である。
時の鐘のモニュメントをアップしよう。
2007(平成19)頃、江東5区辺りで鉄屑泥棒が出ていた、この辺りの自治体が管理する金属性のものが養生シートで囲われたんだよ。もちろんこれもぐるぐる巻きにされてたよ。
「時の鐘」とは時計がなかった頃の時報だ。鐘が撞かれないと一体今何時頃かって分かんないもんね。
で、幕府公認の時の鐘って一体いくつあったかというと時代によって違うらしく、いい資料があったからコピペすると、
10箇所⇒日本橋石町、浅草寺弁天山、上野寛永寺、本所横川町、芝切通、市ヶ谷八幡、目白下新長谷寺、四谷天龍寺、赤坂田町、下大崎壽昌寺
追加2箇所⇒目黒祐天寺、巣鴨子育稲荷
除外3箇所⇒下大崎壽昌寺、目黒祐天寺、巣鴨子育稲荷
9箇所⇒日本橋石町、浅草寺弁天山、上野寛永寺、本所横川町、芝切通、市ヶ谷八幡、目白下新長谷寺、四谷天龍寺、赤坂田町
鐘が現存するのは4箇所⇒日本橋石町、浅草寺、上野寛永寺、四谷天龍寺
その中でも「三大名鐘」と言われたのは、寛永寺、天龍寺、市ヶ谷八幡(東円寺)だったとのこと。
本所横川町?おいおい、そりゃここからずいぶん北の方だぜ。「送り提灯」で行った法恩寺より先だぜ。たしかにここは大横川(旧称・横川)だけどさ、何だか適当だなぁ。
ここに時の鐘が出来たのは、仙台藩主松平陸奥守が幕府から日光霊廟の建築を命ぜられて、貯木地だったこの地で作業に当たらせた際、職人に「飯の時間だよ」、「もうそろそろ今日は仕舞いだよ」と知らせるのが主目的だったわけだ。
鐘撞料といって鐘が聞こえる範囲は金を払わなくちゃいけなかったようで、
北:源兵衛堀(別名・源森川、北十間川の大横川合流点より西をいう)
東:天神川(横十間川)
西:隅田川
南:深川南向う六ッ目通り(これはどこだか不明。六ツ目とは竪川六之橋の高貝洲の辺りだけど、それは横十間川よりかなり東方)
ここの撞木は日本橋の石町の時の鐘を聞いてから撞いたらしい。ということで、少しタイムラグがあったんだな。
橋上から本所入江町方面を見ると、うん、誰も打ってないのに拍子木の音が聞こえてきそうだな。
大横川より西か東かで最寄駅が両国なのか錦糸町なのかが分かれる。錦糸町もここまで来るとかなり静かで暗いんだよ。たまに町会の人が火の用心やってるけどね、ここいらだと拍子木の音、かなり反響しそうだよ。
一本北に架かってる江東橋の下で数年前殺人事件が起きたんだ。浮浪者をガキが寄って集って蹴り殺すという陰惨な話。橋の西詰には交番があるにもかかわらずだよ。本所警察、何やってんだよ!
『本所七不思議』、最後の「送り拍子木」まできて、何が一番寒いかって言えば、この「錦糸町 路上喫煙 禁止町」っていう標語だろうな。
この写真撮ろうとしたら若いあんちゃんが煙草に火を点けて通過したよ。大人がルール守んないのに子供にやんやと言えるかっての!反省したまえ!
一般的な錦糸町のイメージって、こういうんだろうな。
こういうのとかね。
でもこういうのないと困るわけでしょ?日本のこの住宅事情でさ。「ラヴホテル建設反対!」とか運動やってる奴って、利用したことないのかね?
ゴミ処理施設と同じようにラヴホテルも区ごとに割り当てしろって言いたいね。どうせまたあすこいら辺りが突っかかってくんだろうけどさ。どことは言わないけど。
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