【神田①011】神田平永町

町番号:神田①011

町名:神田平永町

読み方:かんだひらながちょう Kanda-Hiranagachō

区分:町丁

起立:1699(元禄12)年

廃止:1933(昭和8)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「神田」

現町名:千代田区神田須田町二丁目2・3、4の一部、5、12番地

概要:神田筋違橋御門東南、神田小柳町東側にあった寛永寺領で、1699(元禄12)年に寛永寺門前下谷車坂町内を内神田に移され、「神田平永町」と名付けられた。1794(寛政6)年、柳原通り火除地ができたため、町の一部が下谷御成道西側に移された。町内に蛤を商う店が多く、「蛤新道」の俗称があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、現行の鍛冶町二丁目11番北端に飛地があったが、そこは神田黒門町に編入。また当町の代地は神田末広町に編入。残余に神田小柳町二丁目の一部を合併。1872(明治5)年の戸数294・人口1,109(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。

1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、須田町二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:神田平永町

撮影地:千代田区神田須田町二丁目12番地(平永町橋架道橋)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。