江戸の範囲①

このサイトでは朱引内、墨引内突出部分(中目黒町下目黒町)+ α (上目黒村の一部)を掲載しています。それを便宜的に、麹町神田日本橋京橋麻布赤坂四谷牛込小石川本郷下谷浅草本所深川荏原南豊島北豊島南足立南葛飾の20地域に分けています。


※朱引・墨引については検索してお調べください。範囲については、非常に分かりやすい地図の画像が『ビバ!江戸』というページにアップされています。

江戸の範囲は、現在の行政区でいうと、千代田区全域・中央区全域(その後に埋め立てられた地域を除く)・港区全域(その後に埋め立てられた地域を除く)・新宿区全域・文京区全域・台東区全域・墨田区全域・江東区全域(その後に埋め立てられた地域を除く)・品川区の一部・目黒区の一部・渋谷区の一部・豊島区全域・北区の一部・板橋区の一部・練馬区の一部・荒川区全域です。

たまに「江戸が東京23区になったんでしょ?」とおっしゃる方がいますが、それは完全に間違いです。江戸は上にあるようにもっと狭かったのです。

つまり、大田区の全域、世田谷区の全域、中野区の全域、杉並区の全域、足立区の全域、葛飾区の全域、江戸川区の全域、それに加えて、中央区のその後に埋め立てられた地域、港区のその後に埋め立てられた地域、江東区のその後に埋め立てられた地域、品川区の大部分、目黒区の大部分、渋谷区の一部、北区の一部、板橋区の大部分、練馬区の大部分は江戸ではありませんでした。



◆このサイトに、載っていそうで載っていないのは…


→そもそも江戸ではない地域は載せていません…。


基本、朱引から外れている地域は掲載していません(中目黒町下目黒町は除く)。


例:大井村御林猟師町(現・鮫洲)、千住宿(現・北千住)等


南品川海晏寺門前と隣の泊船寺門前には恐らく何の違いもなかったでしょう。江戸内の南品川海晏寺門前の辺りは栄えていて、江戸外の泊船寺門前が鄙びていたなんてことは絶対になかったはずです。何故なら、両者は小道を挟んだ隣同士ですから。でもそこには南品川宿と大井村という線引きがしっかりとされていたのです。

いや、それよりも判りやすいのは千住大橋の南北でしょう。橋の北側の方が断然賑やかであったのは間違いないわけです。だって北は千住宿の本宿・新宿ですから。南側の現・南千住は「下宿」として後から追加され、その繁栄は言わば「北側のおこぼれ」だったのですから。


しかし、それは「江戸の範囲」とは一切関係ありません。


なので、「何で南千住が載ってて、北千住が載ってねえんだよ、こんちくしょうめ。『千住』っつったら北千住のことだろうがよ、すっとこどっこい」

と言いたくもなるでしょうけど、それは阿部正精を恨む以外はありません。。。。



あと、書くまでもないのですが…。

『男はつらいよ』で有名な柴又や『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で有名な亀有を包含する葛飾区、ビートたけしの故郷である足立区は載っていません。


何故か。それらの地域は江戸ではないからです。。。「信じられない」という方もいらっしゃるかも。。。


また、それらの地域は当然、下町でもありません。。。


それは人によっては驚愕の事実かもしれません。。。


「下町」とは城下町のことです。なので、古い建物が残っているとか、住民に人情味が感じられるとか、お祭が盛んだとか、そういうことではありません。「江戸」同様、「下町」を雰囲気で捉えている人が多いのでちょっとびっくりです。

また、葛飾区、足立区にかかわらず、江戸川区も「江戸の内、下町」と考えている方がいらっしゃるかもしれません。しかし江戸川区も、「江戸」でもなければ、「下町」でもありません。なので載せていません。

また、当然ですが、「町工場が多いから大田区も下町っぽい」とか「三軒茶屋の三角地帯は下町っぽいよね」とか「船堀の新川にある火の見櫓は江戸っぽい」とか…。。。ちょっと有り得ません。それは「っぽい」だけなのです。。。


その他、内容現在において存在していなかった埋立地も掲載していません。


例:中央区の月島や港区の台場、江東区の新木場、豊洲等


「江戸」は当初、江戸城の東南辺りだけを指していましたが、人口増加や度重なる火災等を理由として、武家地・寺社地・町民地が外縁部に移転していき、それに伴ってどんどん膨張していきました。有名な「本郷もかねやすまでは江戸のうち」の川柳が吐かれたのも享保年間(1716~1736年)という発展途上の頃のことです。


そして、江戸末期においては、江戸とそれ以外の境界が完全に曖昧になっていきました。


そこで、1818(文政元)年8月、幕府目付牧野助左衛門が伺いを立て(御府内外境筋之儀)、12月に阿部正精が出した答えが朱引・墨引でした。


もしかすると、牧野助左衛門の伺いさえなければ、人々の「ここまでは江戸内」という認識がそのまま膨張し続けていき、大井村御林猟師町や千住宿(足立区側)も、江戸の内に入っていたのかも知れませんね。



(ʘдʘ╬)「何で俺ん家が江戸じゃねえんだよっ!」

(y゚ロ゚)y「俺って江戸っ子じゃなかったのかよっ!」


恨むなら阿部正精を。。。


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。