北豊島

木曽街道「第二 木曽街道板橋之駅」

■北豊島…「豊島」とは、摂津国豊島郡の豊島連の祖・彦八井耳命の子孫が移住してきたことによる。武蔵国の中で非常に古くから栄えていた郡であり、大凡の範囲として、白子川、新河岸川、隅田川、日本橋川、神田川で囲んだ広域。なお、江戸期以降、江戸市中となった地域は豊島郡域から外された。

※北豊島地区で町屋が存在していたのは、後の板橋区・豊島区・北区・荒川区のそれぞれ一部のみであり、その他の地域については一切省略する。

1878(明治11)年11月2日、豊島郡が南北に分かれ、東京府北豊島郡が設置される。そして前述のとおり、江戸市中に取り込まれた地域は豊島郡から離脱したが、その後江戸市中は徐々に膨張していき、板橋宿や千住大橋南詰までに及んだ。したがって、北豊島郡郡域ではありながらも、ここではそれらの町々も紹介する。

1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市に編入となり、東京市板橋区・豊島区・滝野川区・荒川区となる。東京都制施行により、1943(昭和18)年7月1日に東京都板橋区、豊島区、滝野川区、荒川区となる。1947(昭和22)年3月15日、他はそのままだが、滝野川区は王子区と合併し北区となる。




【北豊島 新道】

なし


【北豊島 小路】

なし


【北豊島 河岸】

なし


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。