荏原
東海道五拾三次「品川・日之出」
■荏原…「荏原」とは、諸説あるが、奈良時代において荏胡麻の繁茂地として知られ、「荏の原」と呼ばれていたからという(新編武蔵風土記稿)。東海道の道筋は品川宿が繁華を極め、海に面することで猟師町としても栄えていた。また、江戸三富の1つとして有名だった瀧泉寺(目黒不動)門前の中目黒町・下目黒町も、朱引からは外れているものの墨引内としては組み込まれるほどの活況ぶりだった。しかし荏原ではその2ヶ所以外はほぼ農村地帯であり、有名な落語「目黒のさんま」も当地が鄙びていたからこその噺である。
※荏原地区で町屋が存在していたのは、後の品川区の一部と目黒区の一部のみであり、その他の地域については一切省略する。
1878(明治11)年11月2日に東京府荏原郡が設置される。1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市に編入となり、東京市品川区・目黒区(目黒町が碑衾町と合併)となる。東京都制施行により、1943(昭和18)年7月1日に東京都品川区、目黒区となる。1947(昭和22)年3月15日、品川区は荏原区を編入し拡大した。
【荏原 新道】
なし
【荏原 小路】
なし
【荏原 河岸】
「品川湊」→問答河岸
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