南葛飾

名所江戸百景「亀戸天神境内」

■南葛飾…「葛飾」とは、丘陵や崖等の高台を指す「かつ」と砂州等の低地を指す「しか」の意味をもつ。古代から存在し、『奈良正倉院文書』には「葛餝郡」と記されているようだ。下総国葛飾郡の南部が中世に葛西・葛東とに別れ、江戸期の利根川東遷事業により利根川の西岸になったことから武蔵国へ編入された地域である。但し、武蔵国に編入となったのは現・隅田川以東ではなく、横十間川以東である。したがってそれ以西である本所や深川はもともと武蔵国であった。江戸の東限の拡がりと武蔵国の東限の拡がりとを混同してはいけない。

江戸町最東端の総鎮守として相応しい亀戸天神の界隈は古くから賑わっており、町屋ではないため掲載していないが、梅屋敷や逆井の渡し、日本武尊と弟橘媛による高貝伝説の残る亀戸浅間神社等、この地域は名所・名蹟、数知れず。

1878(明治11)年11月2日、武蔵国葛飾郡のうち、東京府に属する地域に南葛飾郡が発足。なお、ここで採用する町はもともと本所・深川地域の町のみであるため、この時点では南葛飾郡とは無関係。しかし、1889(明治22)年5月1日、市制町村制の施行に合わせ、本所亀戸町等、横十間川より東に突出した町が東京府南葛飾郡亀戸村、大島村に編入されてしまう。1900(明治33)年7月19日、両村が町制施行し、それぞれ亀戸町、大島町となる。1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市に編入となり、その際に砂町も加えて東京市城東区となる。東京都制施行により、1943(昭和18)年7月1日に東京都城東区となる。1947(昭和22)年3月15日、深川区と合併し江東区となる。



【南葛飾 横町(横丁)】

なし


【南葛飾 新道】

なし


【南葛飾 小路】

なし


【南葛飾 河岸】

「竪川」→瓦町河岸 北松代町河岸 南松代町河岸 五之橋町河岸


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。