2時間で廻る 本所七不思議 ツアー

本所に伝わる七不思議、これをママチャリに跨って、2時間で廻ってみよう!

※フェイスブックに載せているものを転載。文章は一部修正。

 元ネタは2015(平成27)年10月3日(土)アップ


置行堀(おいてけ堀)  ・足洗邸(足洗い屋敷)  ・送り提灯  ・提灯小僧  ・狸囃子(馬鹿囃子)  ・落葉なき椎(落葉無き椎の木)  ・津軽の太鼓(津軽屋敷の太鼓)  ・燈無蕎麦(消えずの行灯)  ・片葉の葦  ・送り拍子木  山田家さんの人形焼のご紹介


東京都墨田区、その南半分は本所地域という。そう、落語や時代劇でよく舞台になる「本所・深川」のあの本所。

その本所に江戸時代から伝わる数々の奇談を『本所七不思議』って言うんだけど、知ってっかなあ。

よく、「隅田川のもこっかしは下総国なんだよ。この橋、両国橋っていうんだ。橋名で頷けんだろ?」とかって話がまことしやかに信じられてるけど、何でそんな風になっちゃったかね。本所も南側の深川も一度たりとも下総国に属したことなんかないよ。

下総国だったのは古隅田川(請地古川)の左岸~横十間川の左岸側。分かりやすく言うとだね、墨田区立銅像堀公園から鳩の街通り商店街のやや西、国道6号(水戸街道)と交差し、秋葉神社の横をかすめ、小梅通り・曳舟川通りと交差し、高木神社・飛木神社の通りの1本西、東武伊勢崎線・京成押上線と交差し、新あづま通りのやや西、四ツ目通りと交差し、墨田区立押上公園の南辺りで、十間橋のやや西辺りの北十間川に合流。「合流」って書いたけど、古隅田川(請地古川)は全川埋め立てられちゃったから今なぞってきたのは全部「道」なんだよね。で、その後は少し東側の横十間川をどんどこ南の東陽町まで。ここまでの道程(川程)の左側がもと下総国だったんだよ。

それまで浅瀬の低地だった本所、それが人口増加、明暦の大火(1657(明暦3)年)による大名屋敷や寺社地の配置転換、火除地設置のために、幕府は江戸市域をどんどん東に拡張せざるを得なかったんだ。そう、それに江戸を水害から守るための利根川東遷事業の影響もあった。江戸が現・隅田川より東に拡がっただけであって、本所・深川が下総国から武蔵国になって江戸が拡がったんじゃないんだよ。下総国から武蔵国に移管されたのは今でいう、東向島とか小村井とか亀戸大島とかであって、たとえば両国とか錦糸町とか押上とかっていう地域は、もともと武蔵国豊島郡であって、その後、武蔵国葛飾郡になったんだよ。誰が言い出しっ屁なんだろう、本当怨むよ。

1659(万治2)年12月には両国橋が完成し、1660(万治3)年には徳山五兵衛と山崎四郎左衛門が本所取立奉行に任命され、いよいよ本所の開拓が始まったわけだ。2人は湿地帯を茫然と眺めて「そんなことを言われてもなぁ、こんなとこ、本当に幕府の命令どおりに人が住める町にできんのかねえ」と途方に暮れたことと思う。

計画は堀を掘鑿し、掘り起こしたその土を使って湿地を埋め立てるというもの。そうして出来上がったのが小名木川、大横川、横十間川、北十間川、竪川等々と本所の町々だ。現在、それらの堀は部分的に暗渠化されて公園になったり、首都高速の笠を架けられたりしちゃったけど、今でもその面影を残している部分も多く、また陸地の方は「本当にもとは葦っ原だったの?」と疑っちゃうぐらいに普通の陸地になっている。

碁盤の目状に整然とした街並みが造られるも、本所の開拓はそもそも武家地の移転が主な目的だったため、武家地7割、町屋が1.5割、他に寺社地という割合。落語や時代劇だと頓痴気な町民が駆けずり廻ってる楽し気な町々のように思えるけど、実際はお屋敷が犇めき合っていた武家地だった。

ということだから、両国橋を渡ってきて直ぐの本所藤代町本所尾上町までは繁華だったようだけど、そこからちょっと奥に行けば、本所というところは陽が暮れれば真っ暗でうら寂しいところだったようだ。そうなればこの辺りにこんな奇談が流行るのも頷けるってもんだろう。

置行堀(おいてけ堀)」、「足洗邸(足洗い屋敷)」、「送り提灯」、「提灯小僧」、「狸囃子(馬鹿囃子)」、「落葉なき椎(落葉無き椎の木)」、「津軽の太鼓(津軽屋敷の太鼓)」、「燈無蕎麦(消えずの行灯)」、「片葉の葦」、「送り拍子木」…と似たような話も多いけど、実に10個もの伝承が残され、それを総じて『本所七不思議』と呼ばれ、現代でも大人気。

…話自体は大しておっかないとは思わないけど、「七不思議」なのに10個もあるっていうのがおっかないじゃないか。

「七不思議」は他にも、昔は山奥で本所と同じくうら寂しい場所だった麻布にも『麻布七不思議』があったり、同様に武家地で静寂すぎる八丁堀や番町(麹町)にも、そして遊郭街の吉原にも存在する(吉原のは怪談じゃなくてギャグだけどね)。さらにあんまりメジャーじゃないけど、馬喰町、江戸城、品川の東海寺にも七不思議はあるようだ。

まぁどこも似たような話だけどこれらの話って、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」とか「夜に口笛を吹くと蛇が出る」っていうのと一緒で、酔っ払って夜道をふらついて帰って来たり、夜鷹遊びに夢中になるオヤジや、なかなか寝ようとしないガキに対して、「夜は暗くて視界が悪ぃから危ねえことはやんな」、「夜はご近所迷惑だからおとなしくしな」、「いつまでも夜な夜なふらついてんじゃないよっ!」っていう戒めが産んだお話だったのかも知んないね。


あと、あんまりにもマイナーで省かれちゃうんだけど、「弓屋敷の矢声」っていう錦糸堀の話もあるんだよね。場所は御先弓組大縄地、俗に「御弓町」って呼ばれてた辺り。今でいうとアルカキット錦糸町の前辺りね。キットの向かいに吉野家とか松屋とかがあるでしょ、あすこよ、御先弓組大縄地は。「弓屋敷の矢声」は頃合いを見計らっていつか追加すっとしようかね。

※「弓屋敷の矢声」の記事は既に他の人が色々とアップしてるようだけど、文中に「錦糸堀」ってあるからって、錦糸堀公園の写真を載せてるんだよなぁ。前述のとおり、「錦糸堀」っていうのは本来は錦糸町駅の北側にあった本所南割下水のうちの大横川から東側のみをそう呼んでたんだけど、チンチン電車の電停名につられて、総武線の線路南側もそう呼ばれることになり、その後、北側では電停名を「錦糸町駅前」に改称したのにもかかわらず、「錦糸堀」の名は車庫名にもなってたから南側にはその名の電停も残り続け、公園名にも残っちゃったにすぎないんだよね。で、「弓屋敷の矢声」の文中に「弓屋敷」ってあるんだから、舞台は当然本所南割下水だった今の北斎通り沿いに決まってるんだよね…。これ見てたら、取材し直してほしいわな。


あ、それとね、この『本所七不思議』だけど、名称も漢字表記も統一されてないから、ここで紹介するなかでも微妙に表記揺れがあるけど、大体分かると思うんであんまり気にしないでちょうだいよ。

うーん、俺(管理人)にとって、本所最大の不思議は、現・隅田川の東側を「もと下総国だった」と初めに言った奴のパァさとそれを疑いもなく信じる奴が多いことかな…。

そろそろ陽も傾く頃だ。本所七不思議を案内するにはちょうどいい時間になってきた。さぁ、本所の町々を一緒にプラプラしようや。


※「笑って笑ってそら進め!」というサイトには面白可笑しくそれも詳細に、本所七不思議のことが書いてあるんで、是非ご覧ください。


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。